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ラーレザール庭園の現存する唯一の区画

旧アミーノッソルターン邸庭園にまつわる歴史


後に「エッテハーディーエ邸Khāneh-ye Etteḥādīye」として知られるようになるアミーノッソルターンAmīn al-Solṭān(1857-1907年)邸は、テヘランに存在するガージャール朝期の建築作品とみなされている。

 


エッテハーディーエ邸庭園または旧アミーノッソルターン邸庭園は、テヘラン中心に位置し、[かつてテヘランのシャンゼリゼ通りと呼ばれた]ラーレザールLāleh-zār通りに関係する唯一の史跡であり、ガージャール朝期のもっとも価値ある建築物のひとつとして知られている。

Figure1_Amin_al_Soltan_residence.


この屋敷は、旧市街のフェルドゥスィー通りとラーレザール通りの間に位置していた関係で、革命以前の時代に外国の来訪客が頻繁に訪れ、政治会合の場でもあった。


この価値ある建築作品は、2005年に登録番号第12057として国家遺産のひとつとして登録されたが、その後しばらくして登録解除となった。また取り壊しとなる懸念もあったが、2015年にテヘラン市美化機構がこの屋敷を購入した。


この美しい邸宅と庭園は、ガージャール朝ナーセロッディーン・シャー(1831-1896年)とモザッファロッディーン・シャー(1853-1907年)の宰相であったアミーノッソルターンが所有していたが、彼の暗殺後に、ハージッ・ラヒーム・エッテハーディーエḤājj Raḥīm Etteḥādīyehの手に渡った。


1882年にラーレザール大庭園は、道路建設のために同じ名前で区画区分され売りに出された。その一部をアリーアスガル・ハーン・アターベク ‘Alī Aghar Khān Atābek(アミーノッソルターン)の父親、ミールザー・エブラヒーム・ハーンMīrzā Ebrāhīm Khānが入手した。エブラヒーム・ハーン没後、息子のアミーノッソルターンが許可を得てさらに土地を買い増した。


この屋敷では、当時、極めて多くの政治的に重要な決断がなされていた。ガージャール朝時代、この邸宅の敷地面積は、現在よりもずっと広く、その建物はやがて取り壊されてしまった。


この庭園は、アミーノッソルターンが宰相を務めた時代、きっかけ作りの会見の場となってきた。立憲革命期の革命家や政治家多くがこの屋敷を隠れ家としていた。ナーセロッディーン・シャーもこの屋敷に出入りして、その建物の中で会見を行っていた。

後の時代、アミーノッソルターンの子孫たちは、父の土地を分割して売り払った。ジャハーン・シネマやシネマ・シャフルザードにパーキングと複合商業施設が、そこに建設された。


ラヒーム・エッテハーディーエも1916年にこの土地をアミーノッソルターンの遺産相続者たちから買い取り、それを30区画に分割し、自分の子供たちに分け与えた。この屋敷は、1970年代にナーセル・タグヴァーイーNāer Taqvā’ī制作の有名なシリーズ『ジャン・ナポレオンおじさん Dā’ī-ye Jān Napole’on』のロケ地となり、その名前でも知られるようになった。このジャン・ナポレオンおじさんの家が、ラーレザール庭園の唯一の現存する区画となる。


 

 

 

 

 

 


04:56 - 28/05/2019    /    Number : 730869    /    Show Count : 34


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